「百錬自得」この言葉は私が空手の修行というものを始めた1950年代に、先生や諸先輩達から何度となく聞いた教えでした。
「百錬自得」という言葉は、「百錬」と「自得」に分かれています。
まず「百錬」とは、百回練習をすると書きますが、実際には、何度も繰り返し鍛えていっそう良
くする事をいいます。
次の「自得」とは、自分の力で悟ること。自分自身で理解し、会得する事をいいます。例えば、
力とスピードのバランス、足の位置、身体の姿勢、目の付け方等々を、練習を積み重ねる事によって、何が大事なのかを自らの身体で覚え、身に付ける、という意味です。
「百錬自得」とは、1950年代の指導方法として、多くの分野で使われていました。知識として頭で覚えるのではなく、積み重ね練習する事によって身体で覚えろ、という指導法でした。
しかし1960年代には武道においても科学的な練習方法が取り入れられるようになってきました。身体の要因や技術の要因などが、専門家の手によって研究され、技術は技術、体力は体力とどんどんと分解され、研究され、それらの分解されたデータを元に指導されるようになっていきました。
1950年代には、どんな事にもビクともしないような強い武道家が多く世に出ました。しかし1960年代の後半頃からは、強い武道家と言うよりも、上手な空手選手へと変わっていきました。
それは、1950年代の「百錬自得」という、修練に対する心構えから、1960年代の、試合に勝つ為の練習へと移行していった事が原因のように私は思います。
果たしてどちらが良いかは判りませんが、武道としての空手と、スポーツ的に勝利を目指しての空手の差は、近年どんどんと広がっていってます。
唯一良かったという点では、スポーツ空手になった事で、日本の空手が、全世界へと広がった事です。武道的空手では、今のような全世界への普及は有り得なかったと思います
白帯から黄色帯に昇進するのも、一種の「百錬自得の極み」ですし、白帯から黒帯に昇進するのも、また一種の「百錬自得の極み」と言えます。人生においても、例え失敗を重ねようとも、練習を重ねに重ね、経験を通して身に付け学び、生きる事を極めていこうではないか。
平野清久
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